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Jun 022014

オマージュとパクリと権利

私は圧倒的にタランティーノ派なので、こちらで!

さて、話は変わりますが、この作品はスター・ウォーズの映像、いくつかの楽曲をBGMに利用しています。これらの権利がどう処理されているか不明ですが、作者はYoutube上で仕事を募集しています。
もしこの作品が権利をクリアしていないとしたら、どのように判断すれば良いのでしょう?

「面白いんだから良いじゃないか!小さいこと言ってんじゃないよ!」
「不法利用はけしからん!即刻に削除すべきだ!」

前者の意見は、FacebookのShareなどにおいて見られるものです。
クリエイターを名乗る人間も、この意見の流れで「ネタ」としてこの作品を扱っているのが大半に見受けられます。(自身の作品権利に関してどのようなスタンスをとっているかは不明ですが・・・)

かく言う私もこの作品に対して、以下のような判断を持って許容寄りのスタンスです。

  • 一定のクリエイティブが適用されており、引用データが素材化している
  • 作られた作品の質・センスが良く、不快でなく、一つの作品になっている

しかしこれらは非常に主観的判断で曖昧です。
「作品の質」と「権利の問題」が同軸で考えられていて、質が良ければ(悪く言えばネタとして扱うことで自分が得るメリットが高ければ)、権利に関して暗黙的に目を瞑るという思考です。
これは「クオリティ、クリエイティブ」という観点で「文化的」という免罪符を掲げ、権利(商業的)侵害を正当化しているとも言えます。そしてその「質」に明確な基準が無いため、オマージュだとかリスペクトだとかの言葉を動機として放り込むことでそれなりに文化的コンテクストを生成することも出来ます。
もし、権利などをきちんと踏まえて、評価するならば、

  • センスいいし、クオリティも良い>文化的側面
  • しかし権利はを守ってないので駄目である >商業的側面

こういうことになるでしょう。

しかし作品を作った側は、その権利の侵害をどのように受け止めるのでしょう?
法律は汎用的に作用しますので、駄目なものは駄目となります。しかし実際は「いやー、ここまでやってくれるなら全然気にしないよ!」「これはあかん!」なんてものは、作品の出来や、その時の気分も含めて判断に差が出るのが普通です。それを一つ一つ審査するのは大変だから、汎用ルールを作成して一括対応しているに過ぎません。また、元々侵害された側もクリエイティブ畑であり、少なからず作品の引用・コピー文化に対して許容があるというか、身に覚えもあり、それが緩い状態になっているのかもしれません。(それが有名なパクリ作品を原作者自身が後で公式認定するなんて話がチラホラ存在したりする理由なのかもしれません)

では、作品を作る前に権利の問題を作者がクリアすべきなのか?という問題に関して、個人的には「作品を作ること」と、「権利をクリアにする」ことは、理屈ではつながっていることはわかりつつ、実際にモノを作る過程においては脳内でつながらないのだろうと思います。(つなげるための労力がモノを作るパワーを消失させるというか・・・)

このへんをうまく分離し、モノを作るパワーを殺さず、且つ権利も侵害されないようなうまい仕組みを作って、イタチの追いかけっこみたいなサイクルから離脱できないのかなぁ・・・と思いますね。
例えば制作側は一切の権利を気にせず、作品を作ることだけに集中する。その結果完成した権利の不明確な作品を発見した人物が、その権利を各所調整しクリアにすると、その作品から発生する収益に対してインセンティブを受け取る権利を得るなんていう、ちょっとビットコインの採掘者のマイニングみたいなやり方が出来たりしないのかな?と・・・

ちなみに先月JASRAQが以下のような発表をしまして「結婚式とかの慶事事でそういう野暮なことを言うなよ!」という感じで模擬を醸しておりましたが、対象はあくまで「制作事業者」ですので、初見の印象と実際は違うのではないかなと思います。

しかし現実として結婚式で流される楽曲は、新郎新婦や友人などが選曲するわけで、DVD制作事業者が選曲することはほぼ無い。(その時の再生に著作料が発生するのか良くわからないですが)
式を撮影+編集するだけのDVD制作事業者に楽曲使用の責任が発生する理由には首を傾げるしか無く、結果として「取りやすいところから搾取する」というダークな印象がJASRAQを更に悪の利権団体と認識させていくだけの拙策だなぁという印象です。また実働結果としてもJASRAQの規則を守った事業者は損をして、守らないほうが得をする無責任なルールを作るセンスは利権団体として批判されてやむ無しかなと感じます。

こういうやり方は「生活」の中の「音楽」を排除していく方向に作動して、結果「音楽」自体を殺しかねない危険を感じます。「権利」と同時に「音楽」の未来のことももう少し考えてルールを策定していただきたいなぁと思います。

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