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Oct 072015

人の判断と科学の判断

もう2週間も前の話。
なんだか有耶無耶に収束した感じもありますが、この事件を聞いて感じたことをメモ

いくつか記事を読んでみると、行動は支離滅裂で会場の雰囲気に興奮して辛抱堪らん感じでやらかしてしまったような印象を受けた。
こんなかんじ・・・

Aさん:「会場の雰囲気に興奮して、なんかこう俺の中に野生が目覚めた?的なモヤモヤした感情が沸き起こり、辛抱たまらん感じになったんです。」
Bさん:「ふむふむ、そのとき目の前に女性がいたと・・」
Aさん:「はい、自分の中の野生が暴走してですね。止められないと。もうやるしかないなと・・・」
Bさん:「それで自分の中の野生を解き放ったと・・・」
Aさん:「ええ、しかしやり方ようわからずちょっと激しくやり過ぎてしまったんですよね・・・」
Bさん:「普段の性生活はどんな感じですか?」
Aさん:「いや、至って真面目な感じですよ」
Bさん:「そうですか・・・」


普段は真面目な人で騒乱状況の経験があまりない人だったのかもしれない。
政治家に対してハマコーとか昔の議員が醸し出す清濁併せ呑むようなイメージが強いので、興奮してやらかしてしまうような人が議員だというのは少し不安を感じたりする。

少し話がズレるけれど、犯罪者の脳構造は犯罪性を理解できないというそもそもの問題があり、それは事前検査で把握ができるツー話はある。
人権の問題はあるものの議員立候補の条件としてこういう検査を行い公開するとか無いのかなと思う。
人が人を選択する選挙の結果、人気投票的な形で立法を司る議員が選出されているのは、この科学の時代に少し違和感を感じたりする。

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