プログラムもそうだけど、その前段の設計が出来ないけれど、プログラムができるっつー微妙な人もいたり、いなかったり・・・
世代交代回数が進化に比例するという理解は『「ハエ」は「人間」よりも進化している』というパラドックスを含んでいるように見えるが、実は「進化しない」選択を司るDNAが存在しているのだと思う。進化が正であるという訳ではない。あくまですべてがフラットな可能性の一つ
シンプルだけど、少し捻りの入ったモーフィング系トランジションのTumblr
とある夜、カレー店のオーナーのネパール人と呑んでた。
先月ネパールに帰国した時の姪の結婚式の写真を見ながら呑んでいたのだけど、突然「今度、店でライブやるんだけど」つー話を聞いてカレーを食べるついでに観に行った。
なにせ、家から徒歩3分。
バンドの名前は「Conguero Tres Hoofers」。
私は知らなかったんだけど、周りの友人は知人だったりという感じ。
タップダンサー、ギター、パーカッションのトリオ構成。変わってる。
タップダンスをきちんと見たのは初めてだと思う。
聴覚と視覚で感じるリズムの心地良さと迫力は衝撃モノ。
そんなグルーヴの主旋律は、ものすごく神経質そうな繊細なギター。このミスマッチ感がすごく良かった。
パーカッションはすごく安定していて、タップダンスと半端無く一体化していて、途中タップやってないんじゃないかと思うほど。
トランペットも担当していたんだけど、まぁその音色がすごく良かった。
ズーーーーーーンって来る。
ということで、全般的にすごく良かったのでCD購入。
夫婦でループ再生。
理想と現実がうまく回る事のほうがむずかしいのだなぁ
体験せねばなるまいか?
なにこれ?
「エコである」という言葉に潜む罠。
これが悪意か否かは「消費者が本質を理解しているという前提の上で成立する自己判断」という思考に「made in Japanへの信頼」が暗黙的に前提とされている時点で、悪意ありと判断して良いと思う。
さて、ここで人々が信頼してしまう「made in Japan」について
過去の栄光になりつつある「Made in Japan」だが、まだ国内ではそれなりの力を持っているこの「Made in Japan」。
この形成は「企業」の「営業努力」という話だけでなく、「製品への消費者監視」による「製品に潜む悪意の淘汰」がマーケットレベルで継続的に実行された結果なのだろうと考えている(製品に潜む悪意」は「資本主義の悪魔」でも良いかもしれない)。これは他新興国で「Made in Japan」的なブランドイメージの存在を耳にしたことがない(ネガティブなのはよく聞くが)ので、日本独自の状態で、それこそ「名こそ惜しけれ」精神の表れではなかろうか?
熱問題のことを少し考えて、少しお値段高めですがエコジョーズにしてみましたよっと。(東京ガスに申請すると少しガス代が安くなるそうです)
東京ガスに確認したり大変でしたが、号数も一号アップ。これで、食洗機を回しつつシャワーも快適。
工事はインターネットから「給湯器やトイレなどの取替・交換工事なら住設ドットコムへ」にお願いしました。
関西の会社ですが全国の工務店と提携しているようで、実際の工事は近隣の定型工務店が対応してくれます。(たまたま我が家の工事をしてくれた人は、隣の家も工事したことがあるらしい)
工事はつつがなく終わりましたし、工事後の説明も丁寧でしたし、その後も何も問題なく快適です。
お値段は、普通に工事発注した場合より4割ぐらい安いのではないかと思います。
現地下見をこちらからの写真報告で省略して見積もりすることで、工賃を抑えているとのこと。
ゆくゆくはこの辺はFaceTimeやら動画通話の中でやり取りして、もっと精度が上がってくるのだろうなあと思います。
私の仕事のネット系設計の打ち合わせは、逆に基本設計部分は顔合わせてないと・・・みたいな流れがあったりしますが・・・
(タスクレベルになるとオンラインで良いんですけどね・・・)
经典印度麦克杰克逊的神曲 – 打泥马
Posted by :榴莲台 DurianFM.com: on 2015年11月9日
これはアカンやつ