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Dec 252013

「べき」、「なくてはならない」ということ

自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと

システムに乗らないものを許さない風潮というか、制度どおりにおこなわれているかどうかを監視するのに、現場が忙殺されているような状態です。それに、あらかじめ決められていること以外は許されないので、介助者との人間関係が深まらなくなった感じがします。心の通じない相手がしてくれる介助は痛いから、怖いんですよね。
 一言で言うなら「揺らぎが無くなった」「揺らげなくなった」ということでしょうか。そしてそれは、世の中全体に着実に浸透しているような気がします。ガチガチに固定されているシステムは、揺らぐことができる「余白」、その場の状況に応じた選択・決定を可能にする余地や余裕がないために、リスクが高く、効率も悪いものです。「揺らぎ」がなくてはイノベーションも起きません。こういった「揺らぎ」や「遊び」という要素をどう維持していくかというのが、今後世の中のことを考えていく上での重要な課題になっていくだろうと思います。

人は世の中を知るにつれ理想を描くようになる。
それは効率性だったり、汎用性だったり、カテゴライズだったり様々である

「こうすれば世の中はもっと良くなる」
「こうしたほうが良いのではないか?」
「これはこういうグルーピングではないか?」

そして、その想いが強いほどに

「こうするには、こうしなくてはならない」
「こうすべきである」

と先鋭化していく

この行為自体が悪いとは思わない。
単純でわかりやすいし、世の中の進化はそういう部分に負うところが多いのも事実である。

ただ注意すべき点は、その理想はそれまでの自分の経験の範疇で描かれたものであり、排他的に作用する可能性があることである。

自分を振り返ってみても、若い頃ほど安易にその結論に至り、それを主張していたように思う。
歳を経た今は、以前ほど断定的な物言いにはかなり注意を払うようになったきた。

デザインは余白が大事である。
同様に考え方も余白が大事である。

固定化、定式化、パターン化すると色々楽なのは間違いない。
しかしそれが見落としている何かが存在する限り、それは諸刃の剣となる可能性がある。

「よしなに」

若い頃はこの手の曖昧な言葉に「無責任」「手を抜く」「適当に」を感じ、苛立ちを感じたこともあったが、最近はこの言葉に潜む「柔軟」さを理解できるようになってきた気がする。

己の能力を信じつつも、常に己を疑い、
柔軟に、変わることを恐れず、
軽やかに、そして力強く残りの人生を進んでいこうと思っている。

よろしくお願いいたします

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