月: 2016年3月
通勤路で毎朝見ていた好きだったタイポ。
アパート取り壊しで無くなるということでパチリ。
新しいマンションやアパートはこういうコダワリがあるものが少なくてつまらない。
世田谷ダンスフェスティバル
こちらも毎年恒例。
今年はスクール系の参加が少なくなって、学生が多かった。
日本女子体育大学 舞踏学専攻のダンスがとても良かった。(多分この人たち)
ギエムのTechneの影響を感じる部分はあるものの、複数人で舞踏的にループしつつ、微妙に変化していくのは、テクノ系楽曲のトランス手法に似ていて、視覚的にもこういうトランス感がつくれるのかもしれないという可能性を感じた。(これはまた別に個人的に実験してみたいとも思う)
去年ぐらいから入場者が増えてきて、今年もギリギリ入場出来た感じ。
高校生チームは黄色い歓声が飛び交ったりして、まぁ芸能人のコンサートかしらん?みたいな感じでしたもの。
ダンスは盛り上がってきてるのかしらん?
毎年恒例。
ピアノの達人の男の子を楽しみにしていたのだけど、今回はいなかった。
うどんとかラーメンとか小学生が作っているにしてはクオリティ高かった。
今年はマシュマロ系のおやつが多かった。簡単だからかしらね?
「LolipopアップデートでNexus7遅い対策」のエントリーを書いてから約一年。
キャッシュクリア後はしばらく快調なものの、日が経つにつれ重くなり、最後はログインすらままならない状況になるという繰り返しに疲れ、段々と利用頻度も減り、充電切れたまま部屋の片隅に転がっていました・・・。
そんなある日、「劇的改善! Nexus 7(2012)の動作が激重時にやるべき完全復活法」という記事を目にした。
これまで行ってきた、「Androidダウングレード」、「端末初期化」、「キャッシュクリア」、「アンチウィルスソフトのアンスコ」、「OK Googleの無効化」と異なる対応方法。そして、その根拠の提示に強い可能性を感じ、Nexus7を引っ張りだしてやってみました。
その結果、まだ1日しか経ってないですが、これまで経験したことのない軽快さをもって5.1.1が動いています。
メールが読める!Webブラウズができる!ゲームもできるんです!
ルート化というリスクはありますが、それをやらねば重たくて使えないのですから、迷わずGOです。(責任は取りませんが・・・)ということで、「劇的改善! Nexus 7(2012)の動作が激重時にやるべき完全復活法」実行時のメモを公開しておきます。
さて、「劇的改善! Nexus 7(2012)の動作が激重時にやるべき完全復活法 | SmartAll(スマータル)」によると、Nexus7が重たい理由は「ストレージI/O、データI/O速度の異常な低下」。
要因は「Nexus7のeMMC(データ用ストレージ)の品質が低い」「Nexus 7のストレージドライバーのバグでOSのTRIMコマンドが実行されない」とのこと。
このため解決方法は「任意にTRIMコマンドを実行できるアプリ」をインストールする」となっている。
で、それができるアプリは
ただし、普通にこれをインストールしても動作しない。このアプリはルート化(Androidをroot化する時に知っておきたいこと : ギズモード・ジャパン)が必要なアプリなので、ルート化してないと動作しない。
ルート化のメリットとリスクは「android ルート化 – Google 検索」あたりで各人調べてもらうとして、以下で説明する対応に関しては「当方では一切責任を負わない」ことをご了承の上、「自己責任」で行ってください。
1日8時間聞いても125日必要。
それをきちんと記録し、解説やライナーノーツまで書くという情熱はなんなのか?
クラウド世界に生きている我々からすると、もう考えただけで諦めてしまうレベルの作業量
人間とはなんと素晴らしい。
The David W. Niven Collection of Early Jazz Legends, 1921-1991 : Free Audio : Download & Streaming : Internet Archive
肉体疲労高まるWeekend
ネットのジェネレーションギャップとか
先日、この記事にコメントをつけてFacebookでShareした。
> GoogleはSEO対策されていて「リアルじゃない」
> 大人がやっているInstagramは「ダサい」
言い得て妙。
検索を軸とした情報共有に夢を感じた世代と、共有世界が前提の世代のギャップとでもいうか・・・。自分の世代はネットに開放を感じ、彼らはそこに制約を感じている。メタ概念の世代闘争とでも言うべきなのか?
たまたまインターネット黎明期に立ち会うことができた世代(25~45歳ぐらい?)が、いつのまにやら無自覚に「先端」を自負し『「検索を軸とした情報共有」が未来の形』と盲信する老害になっている可能性があることにショックを受けたわけだ。
ただ、まぁ一記事の話だし、まだ可能性・・つーぐらいとタカを括っていた。
だが、1週間ほどして、以下の記事を読んだ
インターネットの世界ではHTMLがベースになるため、言語構造・情報構造を軸にして設計が行われることが多い。情報設計は情報関係の正当性を軸にする場合が多く、UI設計はスクリーンメディアの特徴である「操作」軸でのユーザビリティが重要視される。
デザインの範疇はそれ以外もあるが、WEBでは上記以外の優先度が低くなる傾向が強い。
標準的な査定基準が存在しないことによる評価の難しさと、分かり易い評価軸が同居していることが理由なのだろうが、そもそも役割自体を理解していない場合もある。
その場合は「相手にモノを伝える」時に自分が何をしているのか思い返してみると分かりやすいと思う。
声のトーンを変える
話すスピードを変える
言葉の間隔を変える
目線を変える、顔を動かす
手振りを交える